「令和の時代は孤独死する人間がいっぱい生まれるだろう」

私はそう思っています。

それは何故か。

一言で言えば、

「社会(秩序)」から『個』で生きる時代になってきているから。

こう考えているわけです。

もちろんこれは年号が「令和」に変わったから突然そうなったという事ではないと思います。

平成の後半から今まで信じてこられた諸々の価値観が『崩壊』していくさまを目の当たりにして、私はそのような考え方をするようになったのです。

「相次ぐ大企業の倒産や経営不振」
「学歴社会の崩壊とワーキングプア」
「SNSの飛躍的な普及とリアルな人間関係の軽薄さ」

例えば、私はこれらの平成後半の出来事などから「社会」という集団ではなく、『個人』が重んじられる時代になってきていると思ったわけですね。

シンプルに言えば、

「何が正しいのか」という社会の”核”が存在しない混沌としたカオスな時代になっている。

それが私の中での「令和」という時代のスタート地点だと思っています。

 

「いい学校に出て、いい会社に就職すれば、将来安泰(成功者)」もはや旧石器時代の価値観

 

で、ここで少し過去の時代を振り返ってみたいと思うのです。

大体それは「昭和の後半~平成の初頭」ぐらいにかけてをですね。

ここであなたと一緒に考えてみたいと思います。

まだまだ日本を経済成長期にあり、「バブル」という好景気の真っ只中にあった時代だったと思うのです。

あの頃の日本にはある種の「連帯感」のようなものがあったように感じます。

そのイメージは日本国民1人1人が「裕福になろう」という同じ価値観を共有していたようなイメージがあるのです。

だからこそ例えば、

「いい学校に出て、いい会社に就職すれば、将来安泰(成功者)」

というような価値観の元で多くの日本人が生きているという状態だったはずです。

そして、そのような社会全体の「価値観の同一性」や「経済成長」という”上昇状態”だったからこそ、多くの若者はある程度の年齢になると「結婚」「子供を持つ」という事ができたのでは無いかと思います。

で、その時代の一般大衆から見た「成功者」の形態。

それが「いい学校に出て、いい会社に就職すれば、将来安泰(成功者)」だったわけです。

そして、この時代の「成功者」はある程度の年齢になると次々に結婚をして、高層マンションや綺麗な一軒家を持つ事が時代のステータスだったと思います。

あとは、その時代の「成功者」を見た一般大衆もその姿をモデリングして真似るわけですね。

だから、ある意味「昭和の後半~平成の初頭」という時代は、その時代全体の「成功者」の存在が明確だったからこそ、一般大衆もその姿をモデリングするという形で、

 

・学校を出る→仕事を始める→結婚する→家を持つ

 

という人生の流れが誰の目にも明らかな形で「これが日本人の生き方だ」と定義できた時代だったのでは無いかと思うわけです。

ですから、そう「結婚」と鼻息を荒くしなくても、

”誰もが普通に「結婚」「子育て」を経験する時代だった”

そう捉えることができるかと思います。

 

「令和」という『カオス(無秩序)』な時代の到来

 

では改めて、それらの過去の考察をふまえた上での「令和」という時代を考えてみたいと思うのです。

まず、一言で言えば「令和」という時代は『カオス(無秩序)』だと思っています。

いや、もちろんそれは「法律が通用しない」とか「道徳が崩壊している」などの無法地帯という意味ではありませんが。

(もしかすると、それに近い状態になる恐れはあると思いますが)

で、なぜ「令和」という時代は『カオス(無秩序)』だと思うのかですが。

それは、

”一般大衆がモデリングできる「成功者」という存在が皆無だからです。”

つまり、「令和」には「昭和の後半~平成の初頭」ぐらいに囁かれていた、

「いい学校に出て、いい会社に就職すれば、将来安泰(成功者)」

という一般大衆が目指す成功者のテンプレートが存在しないことが問題だということなんですね。

というかそのような価値観はもはや平成の後半期には完全に崩壊してしまっていたわけですが。

「相次ぐ大企業の倒産や経営不振」
「学歴社会の崩壊とワーキングプア」
「SNSの飛躍的な普及とリアルな人間関係の軽薄さ」

このような状態だったわけですので。

もちろんいつの時代も「プロスポーツ選手」「社長」「医者」「芸能人」のような、極限られたハイクラス層がいるという点については昔から変わりは無いかと思います。

しかし、あなたがある程度の年齢ならもう分かると思うのです。

そんな極限られたハイクラス層として生きれる人間など、ほんの一握りしか存在しないという事をですね。

そして、一般大衆から見た場合にハイクラス層として生きる成功者には「現実味」というものがあまり無いと思います。

要するに、ハイクラス層として生きる成功者は一般大衆から見ると「自分とは関係ない人」や「雲の上の存在」というような捉え方をされるのです。

ですので、そのような圧倒的な成功者はいつの時代も一般大衆のモデリング対象とはならない傾向があります。

それこそ一般ピープルが芸能人みたいな立ち振る舞いをしていたら、

「勘違い野郎」「夢見てんじゃねーよ」

的な扱いをされる場合が多いわけです。

だからこそ私は、「令和」という新時代は、

「社会(秩序)」から『個』で生きる時代になってきている

と思っているわけなんですね。

 

『個(自分自身)』の価値を最大限に高めた者だけが他者に求められる

 

では、これらの新時代への考察から

「どのような生き方をするべきか」

それを少し考えてみたいと思います。

もちろん「令和」という新時代は現時点ではまだ完全なる『カオス(無秩序)』のような気がしますので、そこに絶対的な「正解」があるとは到底思えませんが。

ただ、私はこのように考えています。

『個(自分自身)』の価値を最大限に高めた者だけが他者に求められる。

以上です。

今、さらりとかなり重要な事をあなたにお伝えしました。

この考え方が理解できていない方は、それが男であれ、女であれ、オカマであれ(笑)、、。

残念ながら「令和」という『カオス(無秩序)』な時代では「孤独死」という最悪の結末が待っているはずです。

誰もが時代の「正解」が分からず、何を信じて生きていけば良いかが不透明な時代ですからね。

言ってしまえば、日本人全体が「不安」や「寂しさ」という精神状態だと表現できます。

さらには、インターネットの登場で、個人の価値観がかなり多様化していますので、「昭和の後半~平成の初頭」にはあった一般大衆がモデリングできる成功者の形というものさえ存在していないわけです。

そう。そんな誰もが迷い、苦しむ時代だからこそ、『個(自分自身)』という価値を最大限に高める者の所に人々が集まってくると考えられます。

それは例えば、今の「ユーチューバー」などを見ていると、少しその新時代の片鱗が見えるわけです。

『個(自分自身)』という価値を高めているユーチューバーの元には、既に100万人、200万人というとんでもない数の人が集まっていたりするからですね。

もちろんだからと言って、あなたもユーチューバーになって自己の価値観を世界に向けて発信する必要があるかと言われれば、それだけが正解というわけでもないとは思います。

しかし、少なくともユーチューバーは『個(自分自身)』の価値を高めているからこそ、多くの人がそこに集まっているという事実はあるわけです。

だからこそ彼等ユーチューバーは、

「好きなこと”だけ”をして生きていく」

というような自由に満ち溢れた生き方さえできるわけですね。

 

ノーマル男は「孤独死」するのが「令和」という時代

 

そして、もちろんそれはユーチューバーという生き方だけではなく、こと男女の恋愛においても同じことが言えるかと思います。

いや、もっと直接的に言うならば「男」は『個(自分自身)』の価値を高めない限りは、もはや、

「女性に全く相手にされない」

という時代になっていくかと思うのです。

つまり、私の推測では「孤独死」という悲惨な死を経験する事になる大半の人間が「男」であると思っていたりします。

では、それは何故か。

まず「女性」という生物は、ある意味「生きているだけで男から見れば価値がある」と思うのです。

それこそ、女性はもはや「身体」があってそこに存在するだけで価値があると言えるかもしれません。

しかも生物学や脳科学を少し学べば、女性は他者とコミュニケーションをとるという能力も本能的に高いことがすぐに理解できるわけです。

だからこそ、女性は仮に「旦那」という配偶者を見つけなくても、自身の両親や姉妹、あるいは周りに居る女友達と一緒に生きるという選択肢を容易にとる事ができる傾向があります。

一方「男」はどうなのかと言うと、、。

男は本能的には「競争」や「上にあがりたい」という気持ちが強いのです。

だから、男は生物学上「他者と争う」や「配下におく」というコミュニケーションが得意なんですね。

ですので、「昭和の後半~平成の初頭」の競争社会は「男性社会」と言われていて、多くの男がその時代に生きる意味を見出すことができていたと推測されます。

しかし、時代が「令和」に変わり、ただボーっと社会の中で生きるだけでは、男性の「競争」や「上にあがりたい」という本能が活躍する舞台が存在していないのです。

要するに、「令和」という時代は、不完全燃焼で死ぬまで生きていく”ゾンビ”のような男が大量に生まれると思っているわけですね。

そして、当然そんなゾンビのような男に価値を感じる女性は少ないと思います。

だからこそ、そもそも”他者との対等な共存”という本能が備わっていない男性は、自身の価値を女性に表現することができずに、「孤独死」という結末を迎えると思っているのです。

 

あなたは「古い」考え方に固執していませんか?

 

では、そんな「令和」という時代で、

「どんな男になれば女性から価値が高い男として選ばれるのか」

を少し考えてみたいと思います。

まず、私はどんどんこの日本で「男か女かわからない中性的な男」が流行ってきている事が1つの答えでは無いかと思っているのです。

要するにこの「令和」という時代は、基本的には男性も女性のような「思いやり」「共感力」を持った人間の方が多くの女性に支持される時代になると考えています。

これが今後の一般大衆の中における「モテる男」のスタンダードになると思うのです。

ですので、少し前の時代のように

「女を狩りする」「女をホテルに連れ込む」

という男性主体の「女の落とし方」がどんどん通用しなくなってくると予測しています。

そうではなく、イメージとしては女性とカフェに行って2時間ぐらい楽しく雑談できるような男が女性に支持されて、どちらから誘うということなく、

「まだ帰りたくないからホテルでも行こうか」

という流れが基本になってくると思っているのです。

これが私が思う「令和」という時代におけるモテる男の基本になります。

 

『カオス(無秩序)』だからこそ求められるヤバい技術とは

 

…まぁここまでが一般考察というところですかね。

あくまでも時代に求められている男の「最低水準」がそれだというレベルなわけです。

私自身は、だからと言って頭をマッシュルームカットにして、女みたいに化粧をする生き方は絶対に嫌ですので(笑)

私はこれからも自身が思う”漢”という目標に向かって人生を邁進していく所存です。

ということで、今回は本編としてはここまでです。

ここからこれらの考察をふまえて「私」はどうするのか。

という自己哲学を最後に少し話してみたいと思います。

私は「令和」という『カオス(無秩序)』の時代になった事で、実は密かに

「本当にいい時代になったな」

と思っていたりいるのです。

それこそイメージは全ての準備が整った魔術師のようなイメージで生きていたりします。

例えば、世の中が『カオス(無秩序)』という事は、女性の心の中も混乱していたり、生き方に悩んでいる可能性が高いということなんですね。

そう。私の「洗脳会話術」を学んでいればもう分かりますよね。

これからは女性の心の中に入っていく事ができ、『理解』を伝えれる男が圧倒的なレベルで女性にモテる男になるということです。

だって、みんな「正解」が分からず、孤独を感じているのだから。

そんな女性の心の中に明かりを灯す事ができる。

あるいは、

「この人はあたしのことを分かってくれる人だ」

と女性が感じる「理解」を提供できる男になったとしたら。

もうそれこそ「教祖」レベルで女性に必要とされる男になれると思うのです。

ということで、私は何も「令和」だからと言って生き方を変えるわけではありません。

むしろ、真に「心理学」や「人心掌握」の技術が活きる激動の時代がこれからやってくると思っていますので。

ただ私はこれからも粛々と自身の能力に磨きをかけていくだけです。

それでは今回は以上になります。

最後まで読んで頂きありがとうございました。

カヲル

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追記:

早速を”即”をかましてきました。

女性のレベルはそこそこ高く結構ハイクラスなモデル系の19歳です。

やはり『カオス(無秩序)』だからこそコミュニケーション能力が活きる時代という私の捉え方は、あながち間違っていないかと思います。

しかもかなり「ヤバいハプニング」にも遭遇しました。

下記の記事で全てを赤裸々にお話ししています。

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